釧路菓子商組合

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お菓子釧路菓子職人めぐり


 進学より就職の時代。中学校を卒業後、菓子作りの道に入って57年。パティスリーコルネの代表取締役であり、釧路菓子商組合組合長の上田忠澄氏に『釧路の菓子職人』としての想いを伺いました。



 上田氏は釧路菓子商組合の組合長を務めて10年になります。漁業で栄えた釧路を、お菓子の面からも盛り上げたい。その思いで、組合員の方とともに長年活動を続けられてきました。


地方店の進出に苦しみながらも、「釧路は釧路のお菓子を作る」と今までの姿勢を崩さず根気よく釧路菓子のピーアールを続けました。組合の活動で一番の大きなイベントが、9月の終わりに催される『釧路大漁どんぱく』での「くしろ菓子まつり」です。大勢のお客様に商品をアピールできる絶好の機会。出店する組合員も年々増え、今年も大盛況に終わりました。


現在、来年の白糠ハイウェイ開通に向け、組合では新たな釧路のお菓子を検討しているそうです。



 厚岸出身の上田氏は、中学校を卒業後、釧路でオープンしたばかりの『御菓子司壺屋』に就職しました。昭和32年、氏が15歳の時です。

「入社当時は同年代の若者が10人ほどいた。同期には負けられないという競争心が刺激され、夢中で菓子作りの基礎を身につけた」と上田氏は笑って話します。

 7年働いた後、壺屋の村井芳一社長の紹介で東京に菓子修行に出ます。ちょうど東京オリンピックが開催されていた年。氏は賑わいを楽しむこともなく修行に打ち込み、3年後、壷屋に戻りました。


 40歳を迎えた頃、上田氏は春採に『ケーキの店 コルネ』を開店します。まだ太平洋炭礦が閉山していなかった当時、春採には人が大勢いました。

「魚のイメージが強い釧路を、お菓子を通じて盛り上げたかった」

上田氏は30年、春採で店を続けましたが、時代の移りとともに人の流れも変わり、より人が行き交う場所へと、3年ほど前に現在地である昭和に移店しました。

 
「どんなお菓子も基礎は同じ。けれど、昔やっていた“当たり前”のことが、今の世の中では通じなくなってしまった。似通った種類の中で、自分の思っているものを曲げないように、誰かの作った菓子のものまねでないオリジナルをいかに作ることができるかが大切」

常に変わりゆく時代の中で、いかに通用するお菓子を生み出すことができるか。上田氏は菓子作りの難しさを語ってくれました。一方で、すぐ反応がわかるところが菓子作りの楽しさ、面白さでもあるとも話します。

『パティスリー コルネ』の人気商品の一つである「くじらすく」は、かつて捕鯨基地が釧路にあったことにちなんで名付けられました。誕生したのは8年前。当時の丸井今井釧路店で開催された最後の「菓子まつり」でお披露目しました。当初は笑われたお菓子でしたが、濃厚で上質なチョコレートがたっぷりしみ込んだラスクは評判を呼び、今では釧路を代表するお土産の一つになりました。


お土産として人気の「くじらすく」

「あと一つくらいヒット商品を作りたいね」

朗らかに笑う上田氏の向上心は強いです。


コルネの公式ホームページ http://www.cornet-k.com